ダメです、最終話までは…。

[ぼくらの](MXTV23:30〜24:00)

 パイロットに選ばれたものの、やる気があるのか無いのかはっきりしないキリエにはっぱをかけようとウシロは自宅を訪れる。しかしキリエの大変な状況にも上の空な母親に訝しがるウシロに、リストラされそれどころではないらしいと説明するキリエ。そのとき母親が発作的にリストカットをし、救急車を呼ぶ騒ぎに。一方、刑務所から出所してきたタモツは、属していた帆走会の会長に会い、田中と息子のウシロの護衛を命じられ、破門を言い渡される。ウシロの自宅に向かうタモツは、偶然カナに出会い強引に部屋に押しかける。そこに、自宅に止めるためにキリエを伴ったウシロが帰ってくる。タモツは田中から、親子関係を隠していることをまだ知らされていなかったのだ。勝手に他人を部屋に入れたことに激怒するウシロだが、タモツの人懐っこさに毒気を抜かれてしまう。そのとき敵のロボットが現れ、パイロットはジアースのコクピットに転送される。しかし、自分は戦う気は無いと言い放つキリエ。「お母さんが自殺を図るようなこの世の中など、相手の宇宙を壊してまで生き残る価値は無い」と。しかし敵ロボットは突然、自分のコクピットを引きずり出すと握りつぶし、あっけなく戦闘は終了した…。

 いやはや、いままでアニメ版を贔屓目に見てきた私ですが、さすがに今回は擁護できませんよ〜(笑)。各所で話題になっている「羊羹切らずに手首切って〜」のくだりはどーでもいいですけど(笑)。

 *以下、原作のネタバレを含むため、望まれない方は読むのをお控えになることをお勧めします



 実際問題、キリエ編をそのままアニメ化というのは、ほとんど現実的ではなかったでしょうけど。まず台詞が冗長な上内容は少年期に抱く青臭い妄想の類であり、見ごたえが無く退屈。ちなみに私は原作版の該当箇所は一度目に眼を通したとき、我慢できず読み飛ばしました(汗)。これを音声でダラダラやられたらいやだなぁと前々から思っていたくらいなので、改変それ自体は大歓迎でした。
加えて畑飼を刺すシーン等は放送コードにふれる可能性があるんじゃないかとか気をまわしたり(実際どうか知らんが)、その行為を指しての田中の台詞「あのことで一歩進んでくれたと思ったんだけど」に至っては、究極の戦時下というシチュエーションをかんがみればリアリティを感じるものの、お茶の間に届けるべきものでもあるまいし(これまでのブログの記述から観察できる森田監督の判断基準からすれば明らかにアウトだったでしょうね)。

 しかし、次のパイロットがキリエと決まった後の放置され具合から、視聴者のキリエへの判官びいき的な同情は15話の直前ですでに臨界点に達していたんじゃなかろうか(少なくとも実況版やブログへのコメントからはそーゆー雰囲気をヒリヒリ感じた)。原作に出てくるわけでもないおっさんキャラの描写に放送時間の大半をかけてしまったというのは、見ている側の心の動きを完全に見誤ったスケジュールだったのではないかと(笑)。
 加えて、原作ではキリエがジアースの外に出て自分の身を晒したとき、敵性ロボットからはリスカ少女が出てきます。その動機はおそらくキリエ同様「もしも自分が負けるとしても、犠牲になるのがどんな人間なのか見て欲しい」であると思われるのですが、アニメ版のキリエが戦わない動機が「世の中が間違っている」というものにレベルダウンした結果、敵性ロボットのほうも「自分たちの世界は間違っている」という動機にレベルダウンして自爆したことになります。これはキリエファンにしたら度し難い改変だったことでしょうし…(汗)。
 もうこーいう経緯で一旦激怒したら、その後キリエが死ななくても怒りは収まらなくなり、「ゲームのルールを変えた」とか「手首と羊羹」とか「いい生地じゃない!」とか細かいことまで怒れてしまうようになってしまうでしょう(笑)。おお、恐ろしい…。
 だけど、放映後にこれだけ語りたいと思わせる作品も珍しいでしょう。いささか斜なスタンスではあるものの、批判といえども熱いリアクションをされるというのはある意味幸せかもしれません。いま放映されているアニメの何作が、見逃したとき損をした、残念だと思わせる作品があるでしょうか?

 まぁ、次回こそ本当のオリジナル展開によるキリエ回になったわけです。奇跡の延命に成功したキリエですが、どんな最後を迎えるのか?? これは注目です(笑)!

 それにしても、ウシロの性格もなんか急にデレるしこれから先の心配もつきませんね(笑)。あと、徹頭徹尾ダメですって言ってるのにシャワー室にまでタモツに踏み込まれる無力なカナタンにはマジモエス