[ファッション]オールデンの記憶

 原田さんから頼んでおいたオールデンの靴紐が届いた。靴紐が切れてしまい、売っている場所を探していたんだけど探す場所が悪いのか見つからず困っていたのだ。そこで、地元で売っている店に買いに行って送ってもらったのだった。まぁディズニーランドの件は許してやるか(コロッ)。でも、3時間以上走ったら、電車でも原付でも地元の売ってる店に着いちゃうんだけどなぁ、ぶつぶつ…。
 それにしてもこの靴、そもそも私が一人暮らしを始めるきっかけになった因縁の品だったりする。
 当時私はフリーターで(今もだが)収入が10万ちょっとしか無い時期だったんだけど、近所の商店街にあるセレクトショップでオールデンが安売りしているという話を友人から聞き、そいつと見に行ったのだった。雑誌で見たオールデンはダークブラウンのチャカブーツで定価は89000円。オールデンといえば当時の僕にとってはコレだった。これが6万円台で…と思い、入りにくい雰囲気のその店に行ってみたが、6万だったのはローファー。
 個人的な好みだけど、私にとっては、靴はどっしりと重厚なものでなければならない。これはマストだ。足の甲が一部見えてしまうローファーははっきり言って一番嫌いな形状。ちなみに私の父親はローファー大好きらしくこればっかり持っていたが、どうにもこれを履いてる姿が私の目にはとてもカッコ悪く映ったものだ。
 そして、そこに並んでいたのが雑誌にも載っているチャカブーツ。差額2万強は致命的なのだが、どう考えてもローファーよりもカッコイイ。店員もここぞとばかり高いほうを勧めてくる。さらにローンも使えるという口車に乗ってしまい10ヶ月のローンを組んでしまった。
 いやはや、ローン組むときはドキドキですね。会社での役職とか書かされたり。フリーターとか書いたら審査で落されるんじゃないかとかビクビク。自分の会社に電話されたり、確かに所属していますかとか聞かれたり、なんか警察に追われてるみたいだとか無駄に想像力を働かせてしまったり。
 もとい、とにかく買ってしまいました。さらによせばいいのに同じブランドのシューキーパーとクリームと靴墨まで。シューキーパー8000円以上ですよ! 靴墨2200円ですよ! クリーム800円ですよ! もう靴一足と手入れの備品一式で10万オーバーですよ。
 さて、その靴を買って帰り母親にどやされたりしても意に介さず、大事に履きました。履いた後は必ず磨いて、シューキーパー入れて。二週間くらい。二週間?
 ある日、帰ってきてオールデンを玄関先で脱いで上がりました。そして用事をしてふと玄関先を通りかかると、信じられない光景が。オールデンの魅惑的な曲線美のフォルムが。コードバン(馬皮)の微妙にざらつくような美しい表面が。
 真 四 角 に 凹 ん で い る 。もうベッコリと3mmくらいの深さで。
 しかも、刻印のごとくMADE IN JAPANとか跡が刻まれている。メイドインジャパンてなんだよ。こいつはオールデンだぞ。米国の老舗ブランドだぞ。それがなんだよ、めいどいんじゃぱんって…。
 どう見てもサンダルの踵の跡です。いや、こんなフレーズは当時存在しなかったが、とにかくサンダルで思い切りふんずけた跡です。
 こういう粗忽なことをやる人間は間違いなく姉であるというのは当時の我が家では美人看護婦は淫乱というのと同じくらい権威のある真理だったんだけど、とりあえず私がしたことは靴を回収して靴クリームで磨くこと。ああ、バカ高いクリームよ、この傷を治してくれ、お前は伊達や酔狂でいい香りがするわけじゃないんだろう?? なあ、2200円もする靴墨よ…。
 果たして、忌まわしき国産宣言の刻印は消えたものの四角い凹みは元に戻らず、私は姉を見つけてものすごい口喧嘩。もともとこの時点まで2年くらい口もきいていない冷え切った関係だった我々の渦巻く憎悪は発端を見つけてそこから噴出し大氾濫。母親がそれを見つけて仲裁し、私の事情説明を聞く。明らかに姉の仕業とわかっているはずなんだけど「この子がやった証拠がどこにあるの!」と姉の味方に回る。そりゃそうである。9万もする靴をふんずけた犯人が見つかったら、当然次は弁償である。しかし9万なんていう金を払える富豪はこのびんぼー家には存在しないのである。犯人不明のまま闇に葬るしかないのである。
「あんたがこんなところに靴を脱ぐから悪いんでしょう!!」と、挙句の果てには明らかに靴を脱ぐ場所である玄関に脱いだ私が悪いとか叱られる異常事態にまで発展し、結局この事件は家の外から侵入した謎の人物が、玄関先に脱ぎ散らかしてあったサンダルに履き替えて私のオールデンを踏みつけて逃げていった、しかもそのことに狭い家に4人もいた人間は誰も気づかなかった、というJFK暗殺事件級の疑惑の決着がついたのだった。
「ちくしょー、玄関に安心して靴も脱げない家なんて出てってやる!!」ということでそれから2ヶ月と経たずに私は家を出たのでした。と、これは嘘のような本当の話なのです。
 あれから6年。その間この子は治るの、ちゃんとしてあげれば立派になれるの、とヘレン・ケラーを世話するサリバン先生のように私はオールデンを磨き続け、もう何のために磨いていたのかわけがわからなくなってきたつい最近、気がつきました。「…凹み、なくなってんじゃん??」
 まだうっすらと不自然な線らしきものは残るものの、なんでも鑑定団に出てくる先生でもなければ見分けられないような些細なものだ。私のオールデンは生き返った!! 感動の瞬間!!
治ったオールデンを眺めると、その頃のことが昨日のことのように思い出されます。ああ…若かったなぁ、あの頃は…。



 もっとも、靴の傷は治ったものの、いまだ姉のことは許す気にはなれず、足掛け8年、口もきいてないのでしたっ♪